
発行日 : 2026年2月4日
発行所:ふらんす堂
著者は季刊俳句同人誌「天晴」創刊編集人、「小熊座」「秋」同人。
十五句抄出
香水瓶割れて机上に月の海
蠅生まる陽の虹色を身に纏い
ランニングキャッチの先の鰯雲
木犀はいつも十秒前の過去
裏側を猫が覗けり初鏡
オーケストラピットを溢れ春の潮
夏の月煌々としてディストピア
マカロンの箱に並べる蝉の殻
神謡のリズムは梟鳴くやうに
途中下車すれば旅人秋の雲
鳴りそうな鎖骨のくぼみ花の雨
五位鷺の口から星の雫かな
釣竿の撓み月光曳いてをり
月天心砂漠に花のやうな骨
冬銀河結末のなき私小説
句集評
作者は、季語を情緒へ回収せず、ウロボロス、ディストピア、オーケストラピット、私小説といった現代語・硬質語を接続することで季節感を「思想」や「構造」、ときに「文明批評」へ増幅させる。季語は背景ではなく、世界観の起動スイッチとして働いている。また、卓上や身体の一点を起点に宇宙規模へ飛躍させる<小宇宙化>の手腕が際立つ。香水瓶が机上の月海となり、鎖骨のくぼみが音を孕み、釣竿は月光を曳き、五位鷺は星の雫を滴らせる。感覚は共感覚的に交差し、香りの遅れを「十秒前の過去」と捉えるように、物理時間が時間哲学へ転じるのも特徴だ。さらに、可憐な器に異物を混ぜ、美と不穏を同居させて現代の冷えを覗かせる。語彙が強いため理知的に硬くなり得るが、猫や途中下車など生活の具体が支えとなり、観念の飛躍をほどよく着地させている。語の正しい意味で<賢者の書>のごとき句集。
感銘の一句
ウロボロス円環となり去年今年
歳末年始の「去年今年」を、ウロボロス(自己を食む蛇)の円環に重ねた飛躍が鮮烈です。時間は直線ではなく循環で、終わりが始まりを孕む――という哲学的把握が、季語の持つ境目の感覚を一気に宇宙論へ押し広げます。硬質語(ウロボロス/円環)と、柔らかな歳時語の対照も効いています。 静謐で観念的でありながら、音の丸みと語の緊張が、句に確かな凝縮感を与えている。年の境目というわずかな時間に、永遠の構造を見いだす――その思索の深さこそ、この一句の魅力である。過去を断ち切ることも、完全に脱することもできないまま、私たちは円環の内側で新しい年を迎える。
記:川森基次
