
発行日:2025年09月25日
出版社:ふらんす堂
著者は「ににん」同人。
句集評
火口湖に五月の怠惰まのあたり
「火口湖」という劇的な地形と、「怠惰」という人間的感情の取り合わせには、不思議な魅力がある。湖面の静けさは、火山の記憶を秘めながらも、初夏特有の気怠さを象徴するかのように広がっている。作者はこの風景に自らの心情を投影するのではなく、むしろ風景そのものの側に「怠惰」が宿っていると受け止め、「まのあたり」という言葉でその直観を確かめている。そこには、自然の雄大さと人間の心理とを両立させる絶妙な距離感がある。句集『遠い嶺』全体を通して、作者は自然に対して畏敬と親和を同時に抱きながら、あえて自然と主体のあいだに半歩の距離を置く。その独特の情景把握によって、心景に鮮やかな輪郭を与える秀句の数々を生み出した。
十五句抄出
虫消えて光ばかりの冬至かな
北風に背骨をもらひ歩きゆく
うつくしい火の山へ行く雪の道
火を焚いて氷柱育てる一軒家
雪崩から立ち匂ひたる大昔
耳二枚もちて初音の山に入る
それぞれに心臓を持つ春の星
夕凪や遺言もまた歌のやう
生きたまま蛾が運ばれてゆく日かな
まはり道してめぐり合ふ蕎麦の花
賢治忌の地層に沿って水走る
蔦黄葉ゆれて命の晒しかた
八ヶ岳天の乳歯のごとき雪
猟銃が女の遺品空つ風
本棚の向ふは枯野眠りたし
記:川森基次