廣澤田を句集『知らない道』

発行日:2026年2月1日
発行所:株式会社コールサック社
著者は「琳花」創刊会員 第二次「花林花」同人

十五句抄出

さびしさの不意にかたまるかいつぶり
サクスフォン女体の記憶のなかの夏
原子炉と玫瑰はまなす闇をひとつとす
水草の影のみ揺らし水の行く
綱の端持たされしまま夏了る
空瓶に月光つめる仕事です
少年に實枝のやさしさ花貝母
病みてなお装うさが白木槿しろむくげ
諸葛菜しょかつさい死はかたわらを通り過ぐ
人といて静けさを聞く雪の夜
少女の名いつしか忘れシクラメン
ここもまた知らない道や春の地図
傘さすや文様の蝶梅雨空へ
薔薇あれば善き人として歩み寄る
消しくずに文字の残像遠花火

句集評

 廣澤田をの俳句作品の魅力は、感情や観念が、物・身体・記憶・時間の「境目」にそっと触れるように現れるところにある。全体を通して顕著なのは、出来事そのものよりも、それが生じる直前・直後の気配、あるいは感情が形を取る寸前の凝縮点を掬い取る感性である。

 たとえば「さびしさの不意にかたまるかいつぶり」では、感情が抽象語のまま置かれず、「かいつぶり」という小さく潜水する鳥に仮託されることで、さびしさは一瞬の動作として結晶する。同様に「水草の影のみ揺らし水の行く」では、主体も感情も表に出ず、影の揺れだけが時間の流れを告げる。作者は常に、見えすぎないものを選び取る。

 また、身体性と記憶の扱いも特徴的である。「サクスフォン女体の記憶のなかの夏」「病みてなお装う(さが)や白木槿」などでは、肉体は露骨に描かれず、記憶や(さが)として間接的に現れる。そこには官能よりも、人が人であることの不可避性への静かな眼差しがある。

 一方で、「原子炉と玫瑰闇をひとつとす」のように、巨大な暴力性と繊細な自然美を並置する句もあり、この作者が単なる抒情にとどまらず、世界の不均衡や不安を鋭く感知していることがわかる。しかしその提示は決して声高ではなく、「闇をひとつとす」という静かな断定に留められている。

 「空瓶に月光つめる仕事です」「消しくずに文字の残像遠花火」に見られるように、言葉や表現行為そのものへの自己反省も随所にあり、俳句という形式を作る行為・残す行為として意識している点も重要だ。

 総じて、廣澤田をの俳句は、孤独・記憶・生と死といった重い主題を扱いながらも、語りすぎず、軽やかで、読者の感覚に委ねる余白を保っている。そのことこそ廣澤田をの俳句作品の最大の魅力ではないだろうか。

感銘の一句

良寛の筆の闇より蝶生まる

「良寛の筆の闇より蝶生まる」は、書と精神、沈黙と生成を一瞬に凝縮した句である。良寛の筆は、単なる書写の道具ではなく、その清貧と無心の生き方を宿す象徴として立ち現れる。その筆が生み出す「闇」は、墨の黒さであると同時に、書かれる以前の静寂、言葉がまだ形を持たない内奥の世界を示している。そこは否定的な闇ではなく、あらゆる生成を孕んだ母胎のような闇である。その闇より「蝶」が生まれるという把握は、書かれた文字そのものよりも、書が生まれる瞬間の精神の変容や、無から有が立ち上がる刹那を捉えているように感じられる。蝶は軽やかで、はかなく、美しい存在であり、蛹からの変身を通して解脱や自由の象徴ともなる。良寛の書に触れた鑑賞者の心に、ふと生じる感動や悟りが蝶として立ち上がる、と読むこともできよう。「より蝶生まる」という文語の調べが、時間の流れを緩やかにし、闇から光がにじみ出る余白を生み出している点も印象深い。静謐でありながら祝福に満ちた一句である。

記:川森基次

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